top of page
Image by Todd Cravens

Short Short Storytelling

​#1 海の水が塩辛い話

 むかし、むかし。まだ、海を大きな黒いクジラが治めていたころのお話です。そのころの海は塩辛くなく、たくさんの魚たちが、たゆたゆと漂っておりました。

 さて、この大クジラには白いクジラのつがいがおりました。大クジラは、自分の黒いビロウドのような体をすべらかに撫でてゆくつがいの白いひれが、その時の、心の清らかさをあらわすような優しいまなざしが、この世の何より美しいものと信じておりました。

 大クジラはことあるごとに、つがいの美しさを称える歌声を海いっぱいに響かせては幸福でした。魚たちも、その幸福な歌声が大好きでした。つがいだけが、恥ずかしがって岩陰に隠れてしまいますけれど、大クジラの歌を胸のうちで何より喜んでいるのも、つがいのクジラでした。

 私たちの神様も、クジラたちのことを存じております。いつもお住まいから魔法の水かがみで、その幸福を喜んでおられました。ある日も、波間から差し込む光が宝石のようにつがいを飾る姿を喜んだ大クジラが、海いっぱいに聞こえるように歌うさまを、神様はご覧になっておいででした。

 ところが、その日は、いつもと違いました。白いクジラが隠れてしまう岩場を狙って、ならず者のフカたちが襲ってきたのです。

 神様がご覧になる前で、みるみる白クジラの美しいからだは齧られ、フカのおなかの中へ。かわいそうな白クジラは、美しい声のつがいのいる方を、美しい体を撫でるまなこで見つめました。神様は、御殿を飛び出して白クジラを救いに向かいました。

 やがておなか一杯のフカたちが帰っていった頃、神様は、ようよう白いクジラのもとへ辿り着きました。白いクジラは片方だけになってしまった目で神様を見ます。

「どうして助けを求めなかったのか?」

 神様はお尋ねになりました。クジラは答えます。

 

「あの方の、黒い真珠のようなまなこに映る姿は、いっさい損なわれてはならないのです。そうでなくては、わたくし自身が、がまんならないのです。あの方がわたくしを誉めそやすことを、わたくしは堂々と喜ぶべきでしたのに、それをしませんでした。この傷は罰なのです」

 神様は、白いクジラをあわれに思われました。

「そうであれば、罰を受けたそなたを、私は救ってあげよう。このまま、海の底の底にある私の御殿へおいでなさい。そこでは傷も癒え、いずれそなたのつがいもやって来よう」

 白いクジラは神様のお申し出を有難く受け、連れ立って御殿へ帰っていきました。悲しいのは、のこされた大クジラです。急にいなくなってしまったつがいを探して、大きな体で海を行ったり来たり。

「私は何ておろか者だろう! 私の美しいつがいは、きっと、私があけすけに愛を伝えることを嫌っていたのだ。それに気づかなかったなんて!」

 

 大クジラがあんまりな速さで海じゅうを探し回ったため、波はおおいに高くなり、海は、あれにあれました。このままでは、神様のこしらえた陸地までひっくり返ってしまいます。見かねた神様は、大クジラの前に現れておっしゃいました。

「黒いクジラよ。美しい声の主よ。そなたのつがいは、私が御殿に招いたのだ。二度と会う事はかなわぬ」

 

 大クジラは神様に失礼のないよう、けれど、怒りでヒレをはためかせ尋ねます。

「神様よ。貴方はなぜ、私の愛するものを連れてゆかれたのです」

 

 神様は答えます。

 

「そなたのつがいは美しい魂を持っていた。私は美しい魂の者を、隔てなく御殿に招き、特別もてなしたいのだ。そなたのつがいは、一切の苦しみがなく、穏やかに過ごしているから安心なさい。そなたも、いずれ時が来たら私の住まいへ招待をしよう」

 大クジラは神様の周りをゆっくりと回りました。

「神様、私のつがいは、私を嫌って、そのため行ってしまったのですか」

 

 神様は、おごそかに首を横に振り、何もおっしゃらず御殿へ戻られました。

 

 大クジラは、つがいに二度と会えぬことを、その美しいひれと魂を思って涙が止まりませんでした。こうして、海の水は、みるみる涙の味になってしまったのです。

 

 大クジラは7日7晩泣き暮らし、小さく小さくしぼんで、いなくなってしまったそうです。私たちがこんにち、亡くなった人たちのため涙を流すのも、クジラの悲しみが、海いっぱいに広がっているためかもしれません。

 

 けれど、泣き暮れるクジラをご覧になった神様は、約束どおり、大クジラもつがいと同じ御殿に連れてゆき、二人はそこで、今も幸せにくらしています。あなたも良い子にしていたら、いつか神様の御殿で、つがいの美しさを歌うクジラの声を聞けることでしょう。おしまい

海の水が塩辛い話/語り:リエフ 終わり


 

bottom of page