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「アリカさんと桐生くん・前編」

いつかのどこかのお話です。
あるところに、第02特区という島がありました。
みんなはこの島をオズと呼び、日々せいいっぱい生活しています。
この島では、住民の皆が主人公。
そんな彼らの様々ないとなみを、ひととき、覗いてみましょう。

今日の主人公は、出会った時に9年校の7年生だった女の子と男の子。
正反対でどこか似ている2人が、ひいろ9年校の第三ルーフで過ごした二人の一年と半年を見守り続けました。

​ P-PingOZ「アリカさんと桐生くん」 ナレーション:リエフ

 第6ひいろ地区9年校の、みっつある屋上庭園の第三ルーフ。遊歩道沿いに並ぶアベリアの植え込み、奥の芝生広場や点在するハナミズキを雨が叩いています。
 その遊歩道を、雨具を着て、おろしたての靴で走る女の子と、それをガゼボから眺める男の子。今は、ツユクサ月【つゆくさづき/6月頃】。そろそろ雨の季節が終わる頃。
 女の子の名前は、茅場アリカさん【かやば ありか/13歳/女性/学生】。男の子は、この春アリカさんの隣のクラスに転校してきた、桐生悠香【きりゅう はるか/14歳/男性/学生】くんです。
 アリカさんは、桐生くんが少し苦手でした。
 髪の毛が明るい緑色だとか、問題児で前の学校を追い出されたという噂とか、ほとんどの授業をさぼってるらしいとか、理由は色々です。お気に入りの第三ルーフガーデンに桐生くんが居着いたこともその一つですし、なにより、初対面の印象が悪くて悪くて。

 その時の映像を見てみましょう。

 サクラの月【4月頃のこと】中旬ごろ。この第三ルーフ庭園は、7年生にならないと入れない棟の屋上にある、一番狭くて人気のない場所です。第一と第二は下級生も入れるし、庭園部の活動場所なのですが、この第三ルーフなら、誰にも何も言われず集中できます。
 運動着のアリカさんが、白い屋根のガゼボに荷物を置いて、足回りのストレッチをしている時です。いつも別のベンチに座っていた桐生くんが、突然やって来て尋ねました。
「B組の茅場アリカさんだよね。チア辞めたんでしょ? なんで筋トレしてんの?」
 アリカさんは答えず、手を強く握ります。
「毎日やってるでしょ?、気になってクラスの奴に聞いたんだけど分かんなくって」
 斜め向かいに座った桐生くんが首をかしげると、目を覆うような緑の前髪が揺れました。
「ねえ。どうして?」
 チアリーディング部に6年と少し在籍していたアリカさんは、7年生に上がってすぐ、部活を辞めました。それからは、週に二回、ボクシングジムに通っていました。ジムの日によって練習時間は変わりますが、毎日ここで自主練習をしています。
「言いたくない」
 アリカさんはランニング用の靴に履き替え、学校端末のタイマーをセットしました。アリカさんの学校は、私物の携帯端末を禁止する代わりに、タブレットと携帯端末を支給します。これは最低限の機能しかなく、認可アプリのみ使用できるもので、毎年新しい物に交換して使います。
「あ、俺やっちゃった? ごめんね?」
 桐生くん、首の後ろをさすって、すまなそうに言いました。
「こっちは気にせず。どうぞやって」
 アリカさんはイヤフォンをはめると、返事の代わりに声をかけます。
「足開いてるよ」
「え、やだ」
 桐生くんは両足を閉じて、制服のスカートを整えました。それから、上着のポケットから私物の端末を取り出し、何かのゲームを始めます。校則違反ですが、アリカさんも、校則違反の音楽再生機を持ち込んでいます。桐生くんのことは、とやかく言えません。
 呆れているのか怒っているのか、アリカさんは桐生くんをチラリと見て、庭園の歩道を走りはじめます。

 これが、アリカさんと桐生くんの出会いでした。

 次の日から同じガゼボに桐生くんが座るようになって、放課後の時間を潰すようになりました。会話はほとんどなく、やがてアリカさんは桐生くんを風景の一部だと諦めるようになりました。

 さて、今のアリカさんたちにカメラを戻しましょう。

 雨降りの中でランニングを終えたアリカさん、息を整えてガゼボに入りますが、少し歩き方がおかしいですね。柱に手をつくと左の靴を脱ぎ、踵あたりを気にしています。
「毎日真面目だね……どうした?」
 メイク用品をテーブルに広げる桐生くん、アリカさんの様子に気が付きました。
「怪我? ポーチに絆創膏入ってるから。使って」
「え」
 顔を上げて、そこで初めて、アリカさんは桐生くんの変化に気が付きました。ガゼボの分厚いテーブルに緑色の毛束が置かれていて、桐生くんは黒髪の上からウィッグネットをかぶっています。
「アリカさん?」
 目をしばたたかせているアリカさんの、視線の先に気が付いた桐生くん。
「あ、これ?」テーブルの毛束を持ち上げます。「ウィッグ」
「ああ……」
「びっくりした?」
「うん」
 両目で違う色のラインを引いた桐生くんが、楽しそうな笑顔を浮かべました。
「へっへ」
「なに」
「びっくりさせたなあって。ほら、使って」
 黒いポーチから、花柄の絆創膏を二枚出して、アリカさんの方へ押し出します。
「いいの?」
「いいよ」
 アリカさん、自分の前髪を何度か引っ張ってから、ひと言。
「ごめん」
「んーんー。いつも放っておいてくれてるから。お礼」
「いや、そうじゃなくて」
 首を強く横に振るアリカさん。
「あたし……ほっといたんじゃなくて……勝手にそっちのこと」
 雨音で消えそうな声で言い淀むアリカさんを見て、吹き出す桐生くん。
「え?」
「もーさあ、ほんと真面目!」
 笑いながら、桐生くんは言います。
「フツーに話してよ。あの時は、まずいこと聞いちゃったんでしょ?」
 手に持った鏡を置きます。
「俺、アリカさんとフツーに話したいしさ」
「うん」
 アリカさん、雨具を脱いで、テーブルの絆創膏を受け取りました。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 濡れた足をタオルで拭いて、靴擦れに絆創膏を貼ったアリカさん。椅子から立ち上がると桐生くんに向き直りました。
「あのさ……それじゃ言うけど」
「なに?」
「チークが赤すぎ。雰囲気に合ってない」
「……高かったんだけどなあ」
「合うメーカーとかメイクが知りたいなら、ARで試すのがいいよ」
 落ち込む桐生くんに、ロープワークの準備をしながらアリカさん。
「これ終わったら、いいアプリあるの教えるよ」
「ほんと! 助かる!」

 この日から、アリカさんと桐生くんは、少しずつお互いのことが分かってきました。

 二人とも末っ子同士で、ジャンルは違うけれどおしゃれに関心があること。アリカさんは病気以外で無遅刻無欠席だけれど、桐生くんは平気で遅刻してくること。お母さんとお祖母さんの仲が悪いアリカさんと、お父さんが家を出て別居中の桐生くん。
 お話するようになっても、アリカさんは桐生くんにかまけて、練習を中断することはありませんでした。ジムの日はランニングだけ、ジムのない日はロープワークなどをきちんとこなします。それを、桐生くんがからかいと敬意を混ぜた視線で眺める毎日は、夏休みに入るまで続きました。

 ……1か月半の夏休みが終わって、最初の登校日。

「え、桐生、勉強してる」
 桐生くんが学校支給のタブレットを前に頭を抱えていると、アリカさんがいつものように、大きなバッグと第三ルーフにやってきました。桐生くんは電子ペンを投げ出して、大きく伸びます。
「数学の夏季課題。2回目の授業で出せばセーフだよ」
 少し低く、かすれた声で桐生くんは言いました。
「嘘でしょ」
 空を仰いで、アリカさんは額に手を当てました。
「……いいや。頑張って」
 アリカさん、ストレッチして靴を履き替えると、ランニングに出ていきます。その背中を、桐生くんは暑そうな顔で見送りました。
「真面目だなあ」
 日に焼けて少し背が伸びたアリカさん。桐生くんにはどう見えているんでしょうか。
 40分後。
 アリカさんがガゼボに戻ってくると、桐生くんはウィッグを外して、折りたたみ鏡を片手にメイクをしていました。
「おかえりー」
「終わったんだ」
「飽きちゃった」
「そう」
 もう怒りもしません。アリカさんは水を飲むと、クールダウンのストレッチを始めます。
「桐生、さあ。クロコレ【クローゼットコレクション/半期に一度開催の、服飾系展示即売会イベント】、いなかった?」
 桐生くんの手元が狂いました。
「え? アリカさんも?」
 桐生くん、ズレたつけまつげを剥がします。
「趣味とは違うけど、おねえの付き合いで」
「どうして声かけてくれなかったの! 俺たち友達じゃなかったんだぁ……」
 大げさに悲しみを表す桐生くんのお芝居に、アリカさんが戸惑うこともなくなりました。
「そっちも誰かと一緒だったから」
 桐生くんは記憶をなぞるように頷きます。
「そっか……あー、そうだね」
 それから、大切なことを尋ねるように、アリカさんへ聞きます。
「どうして俺って分かったの?」
「ほくろが。同じところにあるなーって思ってた」
 左頬のあたりを指さすアリカさん。
「声もちょっと変わってたけど、喋った時の嫌味っぽい言い方がそっくりで」
「そこぉ?」
 アリカさんの答えを聞いて、桐生くんは体を揺らして笑います。
「私服の俺に気が付いたの、アリカさんが初めてだ」
 桐生くん、私物の携帯端末をポケットから取り出して、アリカさんに見せました。画面には、どこかの姿見に全身を映した桐生くんの写真。白と淡い緑のドーリーファッションです。
「これ?」
「そう! やっぱり桐生だったんだ。メイク上手くなったね」
「休みの間練習したんだよ。あと、教えてくれたARアプリ凄い便利。ありがとね」
「あれは、おねえが教えてくれたやつだから」
 照れ隠しのように、アリカさんは髪を結び直しました。
「アリカさんち、仲良くて羨ましいよ。あ、休みでお兄さんにも会えた?」
 アリカさん、心底うんざりした顔になりながらロープワークを始めました。
「来た来た。プロテイン10kgもあたしに持ってきて」
「まじ? 面白い人だね」
「あたしにボクシング勧めたのも、おにいなんだ」
「ああ」
 桐生くんが、春以来の質問を投げかけます。
「チアやめたのって、ボクシング始めるからだったの?」
 アリカさんは答えず、ロープワークの速度を上げました。3分を告げるタイマーが鳴って、1分のインターバルに入ります。そこで息を切らしながら、ようやくアリカさんは口を開きました。
「……勝ったら教える」
「試合に?」
 アリカさんは首を振って、顎を伝う汗を手の甲で払いました。アリカさんの様子を見て、桐生くん、聞き方を変えました。
「ボクシング、楽しい?」
「楽しく……なって、きたかな」
 何かを確認するようなアリカさんのささやかな笑顔に、桐生くんは問いを重ねる事をやめた様子でした。
「それなら、いいんじゃない。楽しいのが一番だよ」
「そうかな」
 いつになく真摯な声色で桐生くんは答えました。
「そうだよ。ほんとだよ」



 サザンカ月【11月ごろ】の曇り空。

 アリカさんが、冷たい風の通り過ぎる第三ルーフのドアを開くと、楽器の音が聞こえてきました。
 眉を寄せながらいつもの場所へ足を向けると、スカートの下に運動着のズボンをはいた桐生くんが、木製のバイオリンを演奏していました。ウィッグもウィッグネットも外して、手と鼻の頭を真っ赤にして、真剣な面差しで音に集中しています。
 アリカさん、思わず立ち止まってしまいました。
 やがて、大きなため息をついた桐生くんがアリカさんに気が付いて、弓を持った右手を振ったことで、ようやくアリカさんは体が動いたようでした。
「桐生、楽器弾けるんだ」
「習ってる」
 桐生くんは、お家の方針で、学習塾の他に三つの資格塾、テニスにも通っているそうです。
「さぼってたの?」
 桐生くん、何かと理由を付けて、全部の教室にほとんど出席していません。それを知っているアリカさんが尋ねると、
「そんなわけないじゃん」
 棘のある言い方で否定した桐生くん。アリカさんが鞄の持ち手を握る手を見て、慌てて駆け寄ります。
「ごめんー! 八つ当たりしちゃった! これは、マジのやつなの。ちゃんと通ってる」
 右手に持った弓のネジ部分で頭をかきました。
「こっちこそごめん。からかったりして」
 いいよ、と言うように桐生くんは首をふりました。
「そっちが走り終わるぐらいで俺、今日帰るよ。コンクール近いから」
 桐生くんが指揮棒のように右手を振るさまに、アリカさんは靴を履き替えながら笑顔になります。
「好きなんだね」
 桐生くんは、アリカさんが見たことのない穏やかな顔で頷きました。
「楽しいんだ。上手く言いにくいけど、ちゃんと自分だなーって感じがして。でも、あんまり……家の人は分かってくれないね」
 桐生くんが『家の人』と言う時は、出て行ったお父さん以外の家族の事です。お母さんと、上のきょうだいたち。
「もし家の人の言う通りに生きるのが正しいなら、俺はすごく間違えてる。服もそうだし、音楽もそう」
 左手でバイオリンの弦をはじきます。
「でも、音楽もファッションもないなんて、どっかで死ぬと思う」
 桐生くんのお母さんは、学校関係の案件を扱う弁護士です。理想どおりの航路へ、ご自分の子どもたちを導くことを、お仕事とは別のライフワークにしています。その方針の違いから、桐生くんのお父さんはお家を出て行ってしまいました。
 アリカさんの肩越し、遠くを見る桐生くん。アリカさんは少し首を傾けて、桐生くんの大きな目を見ました。
「桐生は、偉いよ」
 アリカさん、「桐生は」を強調して言います。
「楽器も服も、続けてるじゃん。戦ってんじゃん。偉いよ」
 桐生くんは、アリカさんと数秒目を合わせて、照れ笑いを浮かべました。
「……俺でいるために必要だから」
 桐生くんは背筋を伸ばし、もう一度バイオリンを構えました。
「なんか、語っちゃってごめんね」
 アリカさんは何か言おうとして、結局、首を横に振りました。
「全然。邪魔しちゃったね。聞いてるから。練習、頑張って」
 桐生くんは右手の弓を振って応えます。アリカさん、体を慣らす様にゆっくりと走り始めました。
 今日の伴走曲は、友達のバイオリンです。同じ箇所を丁寧に繰り返し練習してから、何度か通して演奏しています。満足できるものだったのか、アリカさんが通るまで待っていた桐生くん、笑って手を振ると第三ルーフを出ていきました。


【スタッフ】ナレーション リエフ/音声技術 琴錫香/映像技術 リエフ・ユージナ/編集 山中カシオ/音楽 14楽団/テーマソング 「cockcrowing」14楽団/広報 ドロシー/協力 オズの皆様/プロデューサー 友安ジロー/企画・制作 studioランバージャック


​P-PingOZ「アリカさんと桐生くん・前編」 終わり/後編へ続く

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