Life Peeping Documentary
「アリカさんと桐生くん・後編」
いつかのどこかのお話です。
あるところに、第02特区という島がありました。
みんなはこの島をオズと呼び、日々せいいっぱい生活しています。
この島では、住民の皆が主人公。
そんな彼らの様々ないとなみを、ひととき、覗いてみましょう。
今日の主人公は、前回に引き続き、9年校の女の子と男の子。 初めて出会ってから1年が経っても、知らないことはまだ多かった二人のエピソード、本日は後編です。
P-PingOZ「アリカさんと桐生くん・後編」/ナレーション:リエフ
二度めの春が、第6ひいろ地区9年校の屋上庭園を若い緑で彩ります。
学年があがってクラス替えもありましたが、アリカさんと桐生くんはまた隣のクラスでした。
初めてここで二人が会ってから一年が経ちましたが、この場所以外で親しく話したり、校外で遊んだりしたことはありません。連絡先さえ交換していませんでした。特になにか取り決めたわけでなく、そういう風になっていました。
変わったことと言えば、桐生くんでしょうか。背が伸びたこと、ウィッグをやめたこと、時折電子バイオリンを持ち込んで、練習するようになったこと。ウィッグと引き換えに、お家の人に、バイオリンを続ける許可を取ったのだとか。
その桐生くん、今日もバイオリンのケースを持って6階のエレベーターを降りましたが、屋上の入口から飛び出してきた女の子が、桐生くんに気が付かなかったのか強くぶつかって尻餅をつきました。
「大丈夫?」
手を伸ばしてから、桐生くんは気まずい表情になりました。転んだ女の子は、チア部の佐治沢さん。春休み前、桐生くんは佐治沢さんからの告白をお断りしたんです。
「あ……」
「そういうのいいから」
佐治沢さんはそう言って桐生くんの手を払い、立ち上がりました。
「私、信じてないから」
「え? ちょっ、何の」
桐生くんを無視して、階段の方へ走って行ってしまいました。桐生くん、小さくなる佐治沢さんの背中と屋上への入り口を交互に顔を向け、「もしかして」
生徒カードを読み取り機に叩きつけ、屋上入り口を開錠しました。
桐生くん、慌てた様子で庭園へ。鞄をガゼボに投げ入れ、バイオリンのケースだけ抱えてランニング中のアリカさんに駆け寄ります。
それから、アリカさんをいつものガゼボまで連れ戻した桐生くん。テーブルを挟んで向かい合わせに腰を下ろしました。
「なに? 相談って」
「あの、さっき、佐治沢さんに会って。入口のところで。それで」
桐生くん、言い淀んで、テーブルに両手をついて頭を抱えてしまいました。抱えた頭の隙間からアリカさんをちらりと見て、申し訳なそうに小さな声で言いました。
「それで、佐治沢さん、俺たちが付き合ってると思ってるっぽくて」
「あー! そういうこと! 分かった!」
アリカさんはそれを聞いて、逆に大きな声をあげると、ガゼボの屋根を見上げました。
「何が?」
「ミリ、あたしのところに来て同じこと聞いてきたよ。付き合ってるんだろって。否定はしたけど、信じてなさそうだったから」
桐生くん、佐治沢さんに告白をされたこと、それをお断りしたこと、さっきの出来事をアリカさんに話しました。
「俺も、断った時に言ったんだけど……」
恋の話は、受験や就職の話が本格化するまでは恰好のゴシップです。
「俺は別にだけど、噂になったらアリカさん」
「困らないよ。大丈夫」
慣れてるよ、とアリカさんはさっぱりした態度。
「多分、ミリ、あたしが嘘ついてるって、疑ってるんだと思う。あの子とは色々あったから」
「色々?」
桐生くんが首をかしげると、アリカさんは前髪を引っ張りながら、しばらく何か考えて、顔を上げます。
「桐生、これでミリに何か言うのは絶対やめてね」
そう前置きして、アリカさんは一呼吸。
「あたしがチア辞めた原因があの子達なんだ。もしかしたら、噂とか聞いてるかもだけど」
確かに桐生くん、アリカさんの事は、初めて声をかけた去年の春、クラスメイトから聞いています。チアを退部して運動系の習い事を始めたらしい、とか、まじめで口うるさかったのが、7年に上がってクールな感じになったとか、部活を辞めたのはいじめられていたから、とか。
けれど、最初の無遠慮な質問以来、桐生くんはそれらの噂について、アリカさんに直接尋ねたことはありません。今も、目線だけはアリカさんに向けて、次の言葉を待っています。
「5年の終わりくらいに、ちょっと、いじめみたいな事があって。部で」
アリカさんは前髪に手をやります。
「やってた子達に注意したら、こっちに矛先が来ちゃった」
アリカさんは苦笑い。
「誰でも良かったんだろうね」
「……ん? え、待って」
苦い顔で聞いていた桐生くん、何かに気が付きました。
「待って。7年まで律儀にやられっぱなし? 馬鹿じゃないの!」
アリカさんはベンチから立ち上がりました。
「だって、チアは楽しかったんだよ。6年やって、1年しがみつくぐらい」
そのまま、アリカさんは桐生くんに背中を向けました。
「……おにいにだけ全部話して、親には、チア飽きたからって言って、辞めた」
「うん」
「それが、なんかね」
肩と首を回したアリカさん、大きく息を吐きます。
「……へへへ」
肩の荷を下ろしたように、アリカさんは脱力します。
桐生くん、眉を寄せて、時間をかけて、言葉を捕まえました。
「アリカさんが、逃げたとか負けたとか、思わなくていいよ」
……桐生くん、とても……怒ってませんか?
「佐治沢さんに言われたんだ」
不機嫌に口を尖らせた桐生くん、テーブルに突っ伏し、抑揚のない声で伝えます。
「アリカさんとのことは誤解で、自分が悪く言われてるならアリカさんが嘘をついている、的な? そういうことを」
言いながら、桐生くんの語気が荒くなっていきます。
「アリカさん、佐治沢さんの事、一言も出してないのに!」
「桐生」
「絶対自分がやってるから疑ったんだよ! 何なのあの!」
「桐生」
アリカさんは桐生くんの左側にあるベンチへ外向きに腰かけます。
「ありがと」
「俺が勝手に怒ってるの」
テーブルにうつ伏せになったまま、桐生くんはスネたような声で言いました。
「俺、アリカさんから、ちゃんと聞きたかったのに。去年、勝ったら教えるって、言ってくれたじゃない」
「あれ覚えてたんだ」
驚くアリカさんとは逆側に顔を向ける桐生くん。
「覚えてるよ」
「そっか」
アリカさんはテーブルに肘をつきます。
防犯ドローンが、季節の鳥の声で鳴きながらガゼボの上を通り過ぎていきました。その音を目で追いかけながらアリカさん。
「ミリが怖くなかったんだよ」
桐生くんの顔が、アリカさんの方を向きました。
「さっき。大きい声も出されたし、ちょっと掴まれたりしたんだけど」
「は? ボクシングやってる人に手出したの?」
桐生くん、手のひらでテーブルを叩きます。
「ウケる」
人の悪い笑顔です。
「でも、やり返さなかったんでしょ?」
「当たり前じゃん。ボクシングやってるんだから、普通にダメだよ」
アリカさんはベンチに座りなおします。
「さすがだよ。俺なら、後のことなんか知らねーって殴ってるよ」
桐生くんにつられて、アリカさんも笑いました。
「でも、桐生のおかげだよ」
「俺え?」
桐生くんの声が裏返りました。
「桐生、ずっとあたしの事、真面目なやつだって言ってくれたから」
「いや」
桐生くん、続きを言い淀みます。最初の頃は、からかっている風でしたものね。
「だって、凄く暑くても雪降ってても、ずーっと練習は止めなかったじゃない。真面目な人だよ」
言い訳するようにフォローする桐生くん。
「でも、桐生がそうやって言ってくれたから、あたし、自分がこのままで良いんだなって、思えたっていうか……えっと、伝わるかな?」
アリカさん、テーブルに頬杖をついて頭を左右に揺らします。
「練習続いたのも、最初は桐生のこと嫌いだったから、絶対に弱み見せたくないなって」
二人は顔を見合わせて、思い出し笑いを浮かべます。
「あの雨降ってた日の事、俺まだ覚えてるもん。あの時、良い意味で真面目な人って思った」
アリカさんと桐生くんは、お互い、何か大切なことを話す代わりに、あとから思い出せないような些細なことを沢山話して……この日、アリカさんは初めて練習を中断して、桐生くんが帰るまでお喋りに付き合いました。
◆
アサガオ月の中頃には、アリカさんと桐生くんが付き合っているという噂は、二人の予想通りお互いのクラスとチア部、それを通じて運動部の生徒の間で広まりました。それに伴って幾つかのグループや何人かの個人が、からかい目的や噂を確かめるべく、第三ルーフに訪れたのですが……。
彼ら、彼女らが目撃したのは、アリカさんが淡々とトレーニングして、桐生くんが習い事をさぼる時間潰しをしたり、バイオリンの練習をする合間に少し雑談をしては適宜解散しているところ。結局、落胆や謝罪とともに引き上げていきました。
そうして二人への詮索が収まりつつある、去年より平均気温の高い、夏季休暇前の屋上庭園です。
「アリカさんさあ」
暑がりながら、スカートで足をあおいでいる桐生くん。
「桐生、行儀悪いよ。なに?」
こちらは、練習中に瞼を切ってしまったと、左目の上に絆創膏を貼ったアリカさんは。テーブルに手をついて腕立て伏せをしています。
「夏休みだけど、クロコレ行く?」
「無理」
アリカさんは腕立ての合間に答えます。
「今年は……合宿と、かぶってるから」
「ボクシングの?」
「そ! 交流戦も、あって!」
「そっか。勝って帰っといで」
「桐生は? バイオリンの方」
鞄から出した冷却シートを額に貼る桐生くん、
「夏の間は休み。だから、姉さんの名義で、アプリの動作チェックのバイトするつもり」
「こら!」
「去年の夏服が小さくなっちゃったんだもん」
16歳未満の就労は違法なのですが、在宅ワーク代行という脱法ビジネスでお小遣いを稼ぐ児童も多くいます。
「家の人にバレたらどうするの!」
桐生くんは肩をすくめました。
「大丈夫だよ。去年もなんとかなったし」
アリカさん、物言いたげな表情で、3セット目の腕立てを終えました。
桐生くんが楽観的すぎたと分かったのは、秋も深まり始めた頃でした。
◆
冬休みまであと二ヵ月、といった頃。
急に、桐生くんと会えない放課後が続きました。学校自体に来ていないらしく、アリカさんも桐生くんのクラスメイトから尋ねられましたが、理由が分かりません。
アリカさんは放課後の第三ルーフでルーチンをこなして、なんとなく物足りなそうな顔で下校していたのですが、次の週の頭です。
「茅場さーん。いるー?」
桐生くんが昼休みに、教室へアリカさんを呼びに来ました。
三人掛けの講義机でお友達とお昼だったアリカさん、囃されながら、教室の入口へ。
すると、桐生くん「上。いい?」とだけ言って、足早にエレベーターへ向かいます。
「良いけど、どうしたの」
返事はありません。アリカさん、急いで後を追いかけます。
冬服でも少し肌寒く感じる秋の第三ルーフにたどり着いて、やっと桐生くんはアリカさんを振り返りました。
「俺、今日が最終日なの。登校」
「は?」
アリカさん、立ち止まって大きな声を出してしまいました。
「なんで」
桐生くんが振り返って、うなだれます。
「バイトしてたのとか、習い事サボってたのとか……まぁ他にも……色々……バレて」
アリカさんの眉尻がどんどん吊り上がっていくので、桐生くんの背中が丸まっていきます。
「在宅授業に切り替えのち、転校になり……」
「ほら! 前に言ったじゃん! 楽器は?」
桐生くんは顔をくしゃくしゃにして、首を横に振りました。
「そもそも、俺の好きに楽器やらせたのが間違いだった、って言う感じで」
「服も?」
「そっちは友達に預けた」
「いつ転校の話になったの」
「先月……」
お姉さんの口座にアルバイト代が払い込まれたのですが、そこから分かったそうです。
「家の人、口座の動きまで見てたらしくて……」
「もうさぁ」
アリカさん、前髪を何度か引っ張ります。
「もっと、早く言ってよ……」
「だって、言ったら、お互い、さようならの準備始めるっていうか……そういう空気になるのイヤじゃない?」
「じゃなくて!」
アリカさんが、桐生くんに初めて怒鳴りました。お昼休みで第三ルーフにいた生徒さんが、一瞬二人を見ました。
「相談してほしかったって言ってるの」
「相談してどうにかなるなら、してるよ」
桐生くんは静かに答えます。
「俺の積み重ねたやらかしだし、バイトの件では姉ちゃんにも迷惑かけたし。さすがに家の人に反論できなかったわけ」
アリカさんは、何かを達観したような桐生くんを唇を噛んで見つめていました。
「本当はすぐ帰らないとなんだけど、アリカさんには挨拶したかったから、家の人待たせてて……」
桐生くん、慌ててスカートのポケットからハンカチを出しました。
「やだ、アリカさんが泣くことないんだよ?」
桐生くんはアリカさんに近づいて、目元にハンカチを当ててあげます。
「あたしだって、別に泣きたいわけじゃ」
「あーあー、こすっちゃダメだよ、腫れるよ」
「うぅぅ」
ああ、アリカさん、しゃがみこんでしまいました。
「あの、急にこんなさようならなの、本当に俺もごめんって思ってるけど、まだ俺全然やる気だから」
「やる気って、何が」
こもった涙声で尋ねるアリカさんの隣にしゃがんで、背中を撫でながら桐生くんは言います。
「アリカさんが戦ってたの見てたし、俺も逃げないで、ちゃんとやるってこと」
「うう」
泣き声で返事をするアリカさん。
「今までのやらかしと、家の人みたいに大人になるのはムリだってこと、ちゃんと伝えてみて、ダメなら……ダメだと思うけど、そのあと父の人頼るよ」
アリカさんは膝を抱えたまま、何度も頷きます。
「茅場さんじゃん! 大丈夫? ちょっと何したの?」
アリカさんと同じクラスの女子生徒が桐生くんに詰め寄ります。
「違うの」
アリカさんが顔を上げて深呼吸します。
「桐生が悪いんじゃないから」
一息でそう言って、ブレザーで顔をぬぐいました。
「大丈夫。ありがと。桐生も、ごめん」
お昼休みが終わる予鈴が鳴りました。
「茅場さん、落ち着いてからおいで。先生には具合悪くて遅れるって言っとくから」
「ありがとう」
ほかの生徒さんたちが教室へ戻るなか、女子生徒も、アリカさんの肩を叩いて教室へ戻っていきます。
「……立てる?」
桐生くん、アリカさんを支えて一緒に立ち上がります。
「大事なこと言わせてね。ここで、俺のこと何も聞かないでてくれてありがとう。楽しかった」
「あたしも楽しかった」
アリカさんは桐生くんを見ずに、スラックスの膝を手で払います。その手を取って、桐生くんはアリカさんを覗き込むように見ました。
「また俺のこと見つけてよ。ね。で、今度はちゃんと声かけて欲しいな」
「うん。絶対」
「ほら、もうすぐ本鈴鳴るから」
桐生くんは、アリカさんの背中を押して、入口に向かって送り出します。
「またね」
「また」
その日の放課後、アリカさんは第三ルーフでいつもどおり走り込みをして、ジムに行きました。
◆
そのジムの帰り道、迎えに来てくれたお父さんと、最寄りのモノレール駅まで歩きながら、アリカさんが切り出します。
「あのね」
「ん?」
「友達が転校するって。前に話した屋上の」
お父さん、日に焼けたこめかみを揉みながら思い出したようでした。
「ああー……あの弁護士さんちの。家、厳しいんだっけ?」
「みたい。それで、色々あって」
「なるほどなあ」
お父さんは納得したように顎をさすっています。
「母さん、休み前の保護者面談で、アリカが素行の悪い生徒と付き合いがある、って言われたんだと」
「え?」
又聞きだけど、と前置きしたお父さんが聞かせてくれた桐生くんのお話は、アリカさんが知っている幾つかの悪行以外にも、夜間外出して補導されたり、長期休みに数日家に帰らなかったり。
「で、どうも、アリカの話と違うなって、俺も母さんも不思議だったけど。その子、家の方で何かあるんだろうな」
「……知らなかった」
「アリカも困ってる風じゃないし、ホウタ【アリカの兄】からも連絡ないから言わんでおこうと」
「おにい?」
アリカさんは首をかしげます。
「アリカもミノリ【アリカの姉】も、本当に困るとホウタに言うだろう。そうすると、詳細は伏せて俺か母さんに伝えてくるんだよ。アリカの時は、部活辞めたいらしいから、話があったらOK出してやれ、とか」
駅前の信号で、二人は足を止めました。
「そうだったんだ……」
「兄妹仲良くて助かってるよ。父さんも来月からは工事始まるし」
アリカさんのお父さんは建設現場で働いていて、秋から大きな工事が始まるそうです。
「……知らないことばっかりだ……」
アリカさんが鼻をすする音。
「14で分かるもんじゃないぞ、こういうもんは。まだ早い」
お父さん、アリカさんの荷物を引き受けると、ついでに頭を撫でます。
「寂しいよなあ」
アリカさんは頷きました。
「アドレス【連絡先全般を指す】は?」
今度は、首を横に振ります。
「良いのか」
「いいんだ」
アリカさんはお父さんを見上げて、自信のありそうな顔で笑いました。
【スタッフ】ナレーション リエフ/音声技術 琴錫香/映像技術 リエフ・ユージナ/編集 山中カシオ/音楽 14楽団/テーマソング 「cockcrowing」14楽団/広報 ドロシー/協力 オズの皆様/プロデューサー 友安ジロー/企画・制作 studioランバージャック
「あいつなら、どっかで会ってもきっと分かるもん」
P-PingOZ 「アリカさんと桐生くん・後編」 終わり