Life Peeping Documentary
「笛吹き注意報」
いつかのどこかのお話です。
あるところに、第02特区という島がありました。
みんなはこの島をオズと呼び、日々せいいっぱい生活しています。
この島では、住民の皆が主人公。
そんな彼らの様々ないとなみを、ひととき、覗いてみましょう。
今日の主人公は、雨の夜、小型三輪を走らせる何者か。あなたがある年齢以上であれば、きっと名前は知っているはずの、その何者かを追うことにする。
P-PingOZ 「笛吹き注意報」ナレーション/友安ジロー
【本日の放送は天候や時間の影響で多少見づらい映像が続きます。回線不良等による画質の低下ではないため、ご安心ください。】
ツユクサ月、夜21時を回った頃。強い雨が降りしきる、ましろ地区の道路から、今日は始まる。
集合住宅街に挟まれたこの辺りは、夜ともなれば人通りのない道を照らすLED街灯が眩しいばかりだが、雨のせいで一層、歩道の人影はまばらだった。
その人気のない道路を、くすんだ緑色の、輸送用電動小型三輪が走っている。あれの乗り手が、今日の主人公だ。
小型三輪の荷台には、人間が二人ぐらい収まりそうなプラスチックの輸送ボックスが積まれている。何を詰め込んだのか、箱の蓋は不自然に膨れ、固定バンドでどうにか閉まっている有様だ。小型三輪は法定速度よりややゆっくり程度の速度で、南東に向かっている。
この天候だ。屋外の映像では、はっきりと主人公の姿は分からない。車内の映像に切り替えても車のフロント部分のみが映っているため、乗り手については全くの不明。見えるのは、雨の路上と、ヘッドライトが照らす少し先の水溜まりばかりだ。
フロントガラスは、雨による視界不良を嫌ったか、ARディスプレイ機能を切っている。その上をワイパーが滑る。等間隔で街頭が白く照らす車内は、甘い女性ボーカルのエレクトロが流れていた。
そこに、不意に挟まる合成音声。
『《真ん中さん》さんからメッセージです』
「ん?」
どうやら今日の主人公、若い女性であるらしい。携帯端末と連動させたナビが、受信した鳩【電子メッセージ全般を指す】を読み上げる。
『本文、《墓地出た? ごまかしてます もって1時間 早めに戻ってください 返事不要》本文は以上です』
その不意の連絡が終わると、車内は薄い車体に雨粒が当たる音と、時折ナビゲーション音声が道や歩行者への注意を促す声、切れ切れに音楽に合わせハミングする声の重奏。
折角なので、僕も少し黙ろう。
……ツユクサ月の雨の夜は、オオカミの夜と呼ばれる。
詩的な比喩ではなく、ただの統計だ。雨の夜は窃盗や誘拐が増えるため、ライオン【ライオン:第02特区市警を指すスラング】達がオオカミの夜と呼んでいる。彼らは警察組織としては無能に近いが、詩情のある業界用語を生み出す才能は持っていた。
『輸送ボックスが開いています』
「ん?」
ナビゲーションのアラート音声に、小型三輪は減速する。
『貨物落下の恐れがあります』
そのアラートが終わる前に、小型三輪はゆっくりと、邪魔にならない路肩へ停車した。
「んー……っと?」
流していた音楽が止まり、何かを着込む音、ドアの開閉音。それから、ハザードの点滅する音が車内に残った。
さて、社外へ切り替わったカメラは、小型三輪の後方から、主人公をとらえる。
10分も立っていればずぶ濡れになってしまうだろう中、街灯が主人公のふくよかな体躯を浮かび上がらせた。
雨具を着込んだ主人公は、車道に背を向ける形で、荷台の輸送ボックスと格闘していた。どうやら、蓋を止めていたバンドが緩んだせいで、ボックスが開いたとナビが誤認したようだった。
主人公がボックスの蓋を膝で抑え、固定バンドを締め直しているところに、クラシックなデザインの黒いワゴン車が通りすがった。小型三輪の少し先に停車する。中から、男性が傘を開いて出てくるが、主人公は気づいていない。
「こんばんは。お困りですか?」
肩を震わせて振り向く主人公。荷台に立ち上がり、帽子のつばを少し持ち上げ、声の主を確かめる。
「市警の委託捜査官なんですけどね。不審者情報があって巡回しているんです」
車道側に立つのは、恐らく中年の男性。逆光と傘で上半身が見えないが、右手に持った何かを主人公へ向けた。恐らく端末の身分証を提示しているのだろう。
「お手伝いしましょうか」
気持ちの良いバリトンの声が、主人公に手を差し伸べる。主人公は首を横に振り、体の向きを変えて作業に戻った。
「そうですか?」
男性は身を乗り出し、車内を見ているようだ。
「はあ、なるほどなるほど」
傾いた姿勢を戻した男性、傘を回転させ、主人公の積み荷に目を止めた。
「あの。それは?」
よくよく見ると、無理やり固定した蓋の隙間から、人体の腕パーツらしき物がはみ出している。
「あっ」
一言声を発したきり、主人公、言葉にならない呻きのような音を喉から搾りだしている。
「あの……中を見せていただいても?」
「あー……」
「何か事情がおありですか?」
その時、黒いワゴンから大きな音がした。二度。三度。思い切り車体を蹴る、ないし殴るような音だ。
二人の顔が車へ向けられる。先に動いたのは男性の方だった。
「すみません。私の相棒がせっかちで。お引止めして申し訳ありませんでした」
足早に黒いワゴンへと戻り、車内に声をかける。「大人しくしてくれないと困るよ。分かるね?」
それから主人公に小さく頭を下げ、男性は車輛に乗り込みドアを閉めた。
「……」
主人公は、黒いワゴンが去るまで帽子のつばに手をかけたまま、動かなかった。
◆
……30分後。
時刻は21時を半分過ぎた。主人公は、ましろ地区からひいろ地区に入ったところ。道路に面したウチデノマート【第02特区に展開する、ほぼ年中無休、長時間営業の小売店】の軒下に座っていた。小型三輪は目の前の駐車場に止めてある。丁度、黒い大型のガソリンバイクが隣に停まった。
主人公は、左手に持った紙カップに執拗に息を吹き込んで冷まし、音を立てて啜っている。右手には携帯端末。誰かとメッセージをやり取りしているらしい。
「ねえ」
「ん?」
バイクから降りた女性に声をかけられた。黒とオレンジのレインウェア姿、白い髪をツーブロックに刈り上げている。
「きみ、この三輪乗ってる人?」
顔をあげた主人公の鼻先に、女性が出したのは携帯端末だ。
「自分は、委託捜査官のブリタニー・ミラーです。きみ、この三輪乗ってる人?」
こんなに短時間に二度も猟師【猟師:委託捜査官】に止められるのは珍しい。主人公は無言で頷き、慌てた様子で立ち上がった。
「いきなりごめんね。ちょっとボックスの中見せてもらってもいい?」
携帯端末を操作しようとした主人公を、そのまま、と、猟師が制する。
「どこに連絡するつもり? 両手下ろして、そこにいてね」
主人公を軒下へ下がらせ、モノトーンの猟師が荷台へ飛び乗った。左脚のクローム義足が雨を反射した。
「うっわ!」
箱を開ける前に、猟犬から太い悲鳴が上がった。
「腕じゃん! なにこれ人? 人形? え?!」
猟師は主人公を振り返る。主人公は片手に紙カップ、片手に携帯端末を持ったまま首を振る。
「どういう事? 身分証出せる?」
「あ……うぅ……」
主人公、背中を丸めてしまった。
「なんか言えない事情があるの? 見たとこ未成年だよね。こんな時間に何してた?」
主人公から視線を外さないよう、右手を腰に回して荷台から飛び降りる猟師に向かって、主人公はキッと顔を上げる。そして、帽子を外し、口を開いた。
猟師は主人公をぴったり5秒の凝視したのち、自分の頬を両手で引っ叩いた。
「ごめん」
主人公はゆっくり首を横に振った。それから、猟師に端末のメモ画面を向けながら、指を滑らせ文字を打ち込む。文字を目で追ってから、猟師はグローブを外し、主人公の頭を乱暴に撫でる。
「わかった。じゃあ、それで、もう一度話してもらっていい? ほんと、悪かったね」
主人公は紙カップを置き、小型三輪の運転席へ駆ける。猟師の方は改めて荷台へ飛びあがり、輸送ボックスの蓋を開いた。
「わかった。じゃあ、それで、もう一度話してもらっていい? ほんと、悪かったね」
主人公は紙カップを置き、小型三輪の運転席へ駆ける。猟師の方は改めて荷台へ飛びあがり、輸送ボックスの蓋を開いた。
「ミラーっす。彼岸花通り3のウチデノ駐車場。アニさん、いつ頃追いつける? 今?」
無線の相棒らしき相手に、猟師はため息をついた。
「自己嫌悪してるとこ」
箱から出てきた、精巧なシリコン皮膚の腕パーツを片手で持ち上げた。
「不明者が入りそうなハコ積んだE3乗りいてさ。職質かけたんだ。中身人形だったけど、見たとこ喫水【喫水:成人と未成年の区別がつかない年頃を指す】だから、補導するかも。アイ、アイ。待ってます」
運転席から主人公が戻ってきた。首に、若緑色の首輪のようなものをつけている。
『お待たせしました!』
中央のスピーカーから、溌剌とした少女の声が零れた。
『あたし、竹村闘雀です。荷台のは人形パーツで、家で使うので、廃品を人形墓地【みそら地区にある人形廃棄所。単に墓地と呼ばれる場合もある】から買い取りました。IDは今見せます』
ずっと話したかったのだろう。一気に伝えると、携帯端末から住民情報を呼び出し、猟師に見せる。表示される顔画像とQRコードを読み取り、市警のデータベースに照会をかける。猟師は端末と主人公を、何度も交互に見た。
「あぁ……きみ、あのレジデンスの」
10年前。みそら地区、つづらレジデンスというマンションで火災が発生した。20階建て、80戸に住む100人近い住民が犠牲となった。多少稼げる単身者や、共働きの1世帯家族が多く、その幸せな生活が失われた不幸な事故に思われたが、実情は違う。
鎮火してからの検分で、犠牲になった住民の半数以上が、火災より前に死亡していた事が判明した。炎が炙り出したのは、80戸の住民全員が、独自の信仰……とは名ばかりの、人道と理性を鮫に食わせた信条に基づいて生活し、それが破綻して火災に至った、という事実だ。
その生きた証拠が、発話機能を奪われ、倫理的に誤った愛情を注がれた当時7歳の少女【火災現場から保護される少女の映像が流れる】。
彼女こそが、今日の主人公、竹村闘雀【たけむらとうじゃく/女性/17歳/学生】だ。
◆
主人公……闘雀は、首の補助具に触れた。
『今は、春子・ウィリアムズって名乗っているので、それで呼んでもらえると……その』
猟師は目じりを下げる。
「オッケー、オッケーよ春子ちゃん」
闘雀の肩を抱いて軒下へ戻る。
「たださ、春子ちゃん。勘違いで声かけちゃったけど、きみ、未成年だねえ」
闘雀は呻いた。21時以降に出歩く未成年は、保護者同伴のない場合、問答無用で補導される。
「うん? どうした?」
『施設の人にアリバイ作ってもらってて……早く帰っておいでって言われてたんですけど……』
「そりゃ、やっちゃったなあ。施設どこ?」
『ええと……』
猟師に聞かれるまま、闘雀は保護施設の連絡先、そして、今夜の足取りを伝える。この聞き上手な猟師より先に出くわした男性についても話すと、そこだけ子細に尋ねられた。
『あの……?』
「だって、怠慢だもんソイツ。名乗らないわ、途中で消えるわ。後で偉い人から搾って貰わないと」
『ああ……』
やがて、ようやく一通りの話を終え、闘雀は息をついた。
『久しぶりに、たくさん喋りました』
「サンキューね。施設にはこっちで連絡しとくから、なんか飲むもの買っておいで」
ウチデノマートで使える商品の電子チケットが闘雀の端末に送信された。
「とにかく、春子ちゃんに何もなくて良かった」
『ありがとう、ございます?』首を傾げながらも、闘雀は猟師に背中を押されて店内へ。
笑顔で手を振りながら、猟師は施設より先に無線のマイクに手を伸ばした。
「あー、委捜【委託捜査官の略】のミラー。赤11重点回遊中、笛吹きと接触した未成年保護。当該未成年E三に乗車、車載カメラあり、車両番号分かりそうです、オーバー」
……闘雀がボトル入りの水を引き替えて出てきたときには、猟師は闘雀の暮らす保護施設の職員と話していた。
「……ああいや、今日は、そのBどもの件じゃなくて。春子・ウィリアムズさん保護してるんです。それが、今夜発生した事件容疑者と接触した可能性があって……」
猟師は、闘雀を見てあからさまに「失敗した」という顔を見せた。
「いや、なんでもないです。それで、職員の方誰かに迎えに来ていただけたらと……はい。場所は……」
店の出口で動けなくなった闘雀を、猟師が片手で抱き寄せると肩を撫でる。回転灯をつけた警察車両が来ても分からない様子で、近所の保護者がEV車で駆け付けるまで、闘雀の首からはなんの音も出てこなかった。
その後、駆け付けた強面の施設長に背中が反るほど抱きしめられた闘雀は、猟師の相棒という市警の正式な捜査官と施設長が何か話すさまを無表情で眺めている。
「なんか、色々ごめんね。知らん方が怖くなかったよね」
『いえ!そんな』
首の補助具から滑り出る声は、表情に反してどこまでも朗らかだ。
「いいよ無理すんな。笛吹き野郎は絶対捕まえるから。今夜じゅうだ」
ライオンは、組織としては無能に近いが、敬意を払うべき個人は、存在する。
「春子ちゃんが怖い思いしなくて良いようにする。約束する」
猟師は闘雀の顔を両手で挟んで視線を合わせた。「ね。任せろ」
闘雀は、崩れた笑顔を浮かべて息を漏らした。
『……はい』
「いい返事! 今夜はあの海賊みたいなオジサンにしこたま叱られるだろうけど、春子ちゃん心配してるだけだから、聞いときな」
そう言うと、猟師は右耳の受信機を指でおさえた。
「ハル!」
施設長の男性が駆け寄ってくる。
『大お父さん』
「無事でよかったよ。そちらも、どうも。拾ってもらって有難うございます」
「なんの。なんか困ったら、刑事課にいる阿仁《アニ》警部補を呼んでください」
頷く施設長の大きな手が、闘雀を抱え上げる。
『大お父さん!』
「今夜ばっかりは文句言わせんぞ」
赤ん坊のように抱きかかえられ、闘雀は施設の名前が入ったEV車に詰め込まれて帰路に就く。
途中、あの猟師が乗っていた大型バイクが追い越していった。
『大お父さん』
「なんだ」
『あたし、すごく大事にしてもらってるけど』
「そりゃうちの子は全員大事だからな」
『……ううん、そういうんじゃなくて……』
闘雀が拘っているのは、恐らく己の出自の特異さだ。今夜の出来事は、それを想起させるに十分だった。
「別にお前だけ特別じゃないぞ。他の同じ年頃のやつと同じように大事な俺たちの子どもで、チビどもの博士だ」
羨ましいほど全うな大人だ。
「あの泣き虫、お前の代わりに目が溶ける程泣いてやがる。着いたら元気なとこ見せてやってくれな」
『真ん中お父さん?』
「そ。ああ。その件についてはお前ら揃ってからキッチリやるから」
闘雀は再び呻く。
EV車は角を曲がる。その先は、闘雀の家と、今の生活と立場が待っている。今日の僕らはそこまで踏み込まない。この数日後には18歳を迎え、闘雀は通名を本名として登録しなおすからだ。
僕らは春子に変わりゆく彼女の生活が、阻害されず、抑え込まれず、愛情を美しく与え、与えられ、守られることを願いながら、EV車を見送った。
【スタッフ】ナレーション 友安ジロー/音声技術 琴錫香/映像技術 リエフ・ユージナ/編集 山中カシオ/音楽 14楽団/テーマソング 「cockcrowing」14楽団/広報 ドロシー/協力 オズの皆様/プロデューサー 友安ジロー/企画・制作 studioランバージャック
ちなみに、この後あの猟師は本当に、笛吹きを海辺まで追い詰めて捕まえた。
P-PingOZ「笛吹き注意報」 終わり