Life Peeping Documentary
「巻貝の中で」
いつかのどこかのお話です。
あるところに、第02特区という島がありました。
みんなはこの島をオズと呼び、日々せいいっぱい生活しています。
この島では、住民の皆が主人公。
そんな彼らの様々ないとなみを、ひととき、覗いてみましょう。
【画面に、第02特区のものではない浜辺の映像。巻貝をかぶった甲殻類が映っている。】
ヤドカリという生き物がいます。自分の物ではない殻を着込んでいる姿は、オズではあまり良い印象を持たれていません。
オズの人が誰かをヤドカリに喩えた時、それは、より強いものを笠に着ている人、誰かに寄生するように生きる人、もしくは、偉そうにふるまう知識人を指しています。
今日の主人公は、大学生。知識の殻にこもる彼らも、ヤドカリと呼ばれます。
P-PingOZ 「巻貝の中で」 ナレーション/リエフ
みそら地区、朝8時30分の学校街【学校街:専門学校や大学が集中する区画】、朝露大学。冬の遅い陽光が、夜更けに積もった雪を輝かせます。どことなく物寂しいのは、20階建てのキャンパスへ繋がる遊歩道から、大きなケヤキのフェイクツリーが全て撤去されたためでしょうか。
朝露大学は創立200年以上の私立大学で、特に工学系分野で傑出した研究者を輩出しています。その校風が凝縮されているのが、これからカメラが向かう第二キャンパス10階、Aサークル棟です。Aサークルというのは、インドアの文系サークルや、研究、開発系のサークルを指します。
さて、サークル棟につきました。白と若く淡い緑で統一されたシンプルな内装、だいぶ年季が入っています。早速ドローン禁止の警告文が投影される白い壁紙を、挑発的にかすめる映像研究会の撮影ドローンに出会いました。
エレベーター前では、流行語研究部のアンケートが行われ、スタチューパフォーマーを相手にスタンドアップコメディの練習をする人もいます。代替食品再現部が3Dプリンタで出力した生肉の刺身風スイーツが「ご自由にどうぞ」と、談話スペース前のワゴンに並んでいます。
一限も始まる前から自由と無軌道の境目を楽しむただなかで、談話スペースの丸テーブルを囲む三人の女学生。各々が手にした携帯端末、ラップトップ、AR眼鏡などで、サークル棟をゆっくりと見渡しています。
「うわっ! ベルこれダメだ! 気持ち悪い。見て」
声を上げてAR眼鏡を外したのが、今日の主人公、魯アリン【ろ・ありん/23歳/女性/人間学部宗教学科3年】さん。先ほどまでご実家の手伝いで、ここの街路樹を撤去していました。がっしりした体格、着古した造園業者のジャケットにも貫禄があります。
呼ばれて顔を上げたクロウンファッション【クロウン/黒をベースに、複数のテイストをミックスする着こなし】の女の子はイザベル・ジュネさん【15歳/女性/工学部情報工学科4回生】。
「うわあ、確かに大変だあ」
廃棄基盤を再利用したブレスレットを揺らして、ラップトップのキーを叩きます。
「ソラも見て、これ」
「魯さんの視野ログ? ……やだ、これ。私苦手」
イザベルさんから転送されたデータを見るや、タブレットをテーブルに伏せたベリーショートの学生さんが、鉄ソラ【19歳/女性/工学部情報工学科1回生】さん。首には蛍光色のマフラーが巻かれています。
三人が見ているのは、「Weise(ワイゼ)」というARマップアプリケーションが動作した時、対応機器に映る画像の状態です【開発中のため画面にはボカシ処理がかかっています】。アリンさん達は、アプリケーションと同名の「Weise」というサークルで活動しています。
各学部の有志で立ち上がって以来、20年近く運営されるサークルです。学内の様々な場所に対応機器を向けると、紹介文が表示されるという仕組みで、紹介文やスポットは、毎年学生から公募して更新しています。今は、来年リリースする新バージョンの準備中なんですって。
「ねえ、鉄ちゃん一限じゃない? そろそろ出ないと」
「でも、まだ……」
アリンさんが、ソラさんから見えない角度でイザベルさんに手振り。
「あー……」
イザベルさんは小さく頷きました。
「後は片づけるだけだから大丈夫。先輩たちに任せるのだ! マフラー返さなくていいから、ほら」
「じゃあ……あーちゃ、違う、ベル! またお昼ね」
「うん、後でね!」
イザベルさんが手を振って送り出します。ソラさんが見えなくなってから、イザベルさん、アリンさんに尋ねます。
「ねえ。ベルに何のお話? これやりながらで良い?」
「いいよ」
「ありがと」
ラップトップでアプリ開発チームのフォーラムをチェックするイザベルさん、首を左右にゆっくり倒して伸ばします。その首が戻る前に、アリンさんが切り出しました。
「あんたと鉄ちゃん、カップルじゃないよね?」
「へぇう?!」
勢いよく首を戻し、反動に首を押さえるイザベルさん。
「なんでえ?」
「学年離れてるわりに距離近いじゃん。あんた、他人にマフラー貸す人間じゃなかったし。つーか首大丈夫?」
「だいじょぶ。えっと、それでベルたちだけど、そういうんじゃないよ」
イザベルさん、ラップトップをパタリと閉じます。
「ベルたち、大学より前に別の場所で仲良しで」
閉じたラップトップを、二枚貝を模したリュックに片づけます。
「だから、特別仲良く見えたのかなあ。アリンの誤解だよ」
それを聞いたアリンさん、身を乗り出してガッツポーズを作りました。
「それは喜んでる?」
イザベルさんも身を乗り出しました。大きな青い目がアリンさんをじっと見つめます。
「今度、鉄ちゃんのこと、晩御飯誘いたくてさ」
シャープな印象の目元を伏せるアリンさん。夕食に誘う、というのは、意中の方へ好意を伝える手段の一つです。
「へえ。ラブがあるんだ」
アリンさんは身支度して立ち上がります。
「どうだろ。ただの保護欲かも。でも、一緒にいてくれたら楽しいだろうと思う」
「そっか。ベルも、ソラと一緒だと楽しいけど……」
イザベルさんも、リュックを背負って後に続きます。
「ベル、そういう好きの違いが分かんないからなー。相談とか応援とか、向かないや。ごめんね」
アリンさん、イザベルさんの手から貸与品のタブレットをつまみ上げます。Weiseの部室に機材の返却へ向かっているようです。アリンさんはサッパリとした様子。
「良いよ別に。応援されようが、ソラが無理なら無理なんだから」
言われたイザベルさんが目をパチパチさせました。
「アリンが友達いないの、そういうトコだよ」
「ヒラメとカレイ【どちらもよく似ていることを指す慣用句】じゃん」
イザベルさんが鍵を開けると同時に、アリンさんが扉を押し開けます。
「でも嫌がらないで仲良くしてくるから、ソラの事好きなんだよねえ」
「そう、そこ。あ、片づけたら学務寄るから、ベル先行ってな」
イザベルさんを先に通してあげたアリンさん、足で部室のドアを閉めました。
◆
P-PingOZ、今日は私大の朝露大学にお邪魔しています。お昼も13時を回ったところです。主人公の魯アリンさんは、第二キャンパス7階、人間学部研究棟の、宗教学科流山研究室にいらっしゃいました。
古すぎて電子化できない紙本や、データ化された紙本のカードケースが詰まった書棚で一回り小さくなった研究室は、入り口からの目隠しに、溟渤教の説話に基づく絵画をあしらったパーテーションで仕切られています。
その仕切りの裏、背の低い応接セットのソファで、対面のおじいさんと前のめりでお話中。もとは、グループワークに関する相談事が始まりだったのですが……敢えて注釈をつけず、そのままお聞きください。
「寒川の『神秘の帳が殻のごとく』ってあるでしょ。あそこらへんから切り口にするのアリっちゃアリだと思うんすよ」
入り口を背にして、足を大きく開いて座るのはアリンさん。
「でも、今回の争点だと殻割る方向のがまとまりそう。書いたコード通りに動くなら、それは神秘じゃない」
こちら、ジア・グッドホープさん【64歳/男性/人間学部宗教学科1回生】。40年以上消防に携わり、退職後に入学された方です。コーヒー色の肌に刻まれた皺が深くなりました。
「そうだな……援用になりそうだけど『命は神になり難い』っていうのもあるんですよ。『遠くにあって煌めく物こそ』っていう。依田だったかな」
部屋の主、流山教授【流山三津/ながれやま みつ/女性/42歳/大学教授】モニタが並んだ大きなデスクで作業中。時折お二人の様子を見ています。
「あー……アリン待ってくれ。分かんなくなってきたぞ。もしかして、真っ向から扱おうとすると、本論においての神、みたいなとこから始めないとマズい?」
ジアさんが足を組み替えます。
「だけじゃダメで、色々な信仰の原典に当たるとか……一番は、M/Dがどういう方向で信仰を集めたのかのリサーチ」
お二人が話しているのは、森【VR空間】に10年以上存在するM/Dという少女アバターに対する信仰です。同じ時間に30人のM/Dが違うフォーラムに現れ、悩める人々にアドバイスをしていて、M/Dに会ったら呪いが解けたように人生が上手く行くのだとか。
「M/Dに関しては、信仰っていうより、全員が共犯関係の虚構を楽しんでるって気もしますし……ああもう、なんでこんな、面倒な話触ることになってんですか」
「持病の通院で休んだらこうなってたんだよ」
アリンさんもジアさんも、がっくり肩を落としました。
「えー……」
アリンさん、ウェーブのかかったショートボブを乱暴に掻きました。
「何をどうするかって、決めるのはそのグループですけど、あたしから言えるのは、決めつけないこと、自分の考えも疑ってかかること、ぐらいしかないっすね!」
ジアさんも諦めたご様子で、ソファに寄りかかりました。
「なんとかケツから考えて誤魔化せねーかと思ったけどダメかあ」
アリンさんも、背もたれに寄りかかって大きく伸びをします。
「あったり前です。結論ありきの陸目【おかめ/『陸目、沈む船を笑う』という慣用句から転じ、外野の無責任な意見全般を指す】でやるのは感想で、論文じゃねーんですわ。とりあえず、あたしの話よりも、レック教授の現代偶像信仰ですかね。アーカイブで触ると良いと思います」
ジアさん、すかさずタブレットと老眼鏡を取り出しました。
「誰の何?」
「ああ、不親切でしたね。共有します」
アリンさんとジアさんがそれぞれ端末を触っていると、流山教授の朗らかな声。
「鉄さん、もういいよ」
アリンさん、入り口を振り返ります。
「えっ鉄ちゃん?」
耳を赤くしたソラさんがいらっしゃいました。マフラーはありません。
「どうも。朝、すみませんでした」
「えっ、いつ、いつからいた?」
「M/Dは、みんなで作ってるコンテンツみたいなお話のあたり……?」
「フツーに入ってきて良かったのに!」
「知り合い?」ジアさんがアリンさんに。「サークルの後輩。鉄ちゃん、どうしたの?」
「流山教授に……シス倫の時、これ忘れていかれたので」
ソラさんがトートから取り出したのは、糸で動かす操り人形でした。
「ああ、僕忘れていましたか。有難うございます」
流山教授はご自分の作業を中断して、ソラさんから人形を受け取りました。授業の小道具だったようですね。
「鉄さん。せっかくですから、少し休んでいかれますか。粉末ですけどラテも出しましょう。かけていてください」
「良いんですか?」
教授とアリンさんを交互に見るソラさん。
「教授、お客が来ると嬉しいんだ。甘えていいよ。教授ー、あたしたちも同じやつ」
アリンさん、ご自分の横を叩いてソラさんを促します。
「じゃあ……」
恐縮しながら、アリンさんの隣に腰かけるソラさん。
「シス倫ってことは……お嬢ちゃん工学部か?」
と、ジアさん。流山教授は、シス倫こと、システム倫理序論という授業を工学部で行っています。
「はい。まだ一年目で……」
「いや、いい時に来てくれた」
首をかしげるソラさんに、アリンさんが仲立ちし、ジアさんとのお話を要約して伝えます。それを聞いて、ソラさんは腕組みしました。
「うーん……私の、印象の話ですけど、M/Dが、溟渤で言う司教さんみたいな人気なの、ライトユーザーの間だけなんです。もうちょっと技術系のフォーラムに行くと、あれは人間かっていう話が主流なので、あんまりお力にはなれないと思います」
お盆に四人分の保温マグを乗せた教授が、給湯スペースから戻ってきます。全員の前にマグを置き、ジアさんの隣に腰かけました。
「面白そうなので、もう少し詳しく伺っても良いですか?」
「え? ええと、私の分野のお話しかできないですけど……」
短い髪を触りながら、ソラさんは考え考えお話を始めました。
「……私たち、あ、私と友達の間では、製品のバリエーション、みたいな方向に思考実験してて」
「ベル?」
「です。それで、本当にM/DがAIだとしたら、んー……あの確度での会話は可能だっていうのが友達の結論で」
「つまり、代替可能な程度のものってこと?」
アリンさんの質問に、ソラさんは控えめに頷きます。
「それに、もし神様って呼ばれるとしたら、何かものすごい、技術を飛び越えた所に行かないとなんですけど……仮にAIじゃなければ、普通に犯罪ですから……」
アリンさん、ソラさんをじっと見てから、口だけで笑います。
「楽しいじゃん」
「え?」
ソラさんも、この表情のアリンさんを見た事がなかったのでしょうか。少し困惑した様子です。「いや、ジアさんのグループワークとは全然違う話だけど、古今東西、奇跡って裁けるんだなって」
「いえ、その……あくまで私がこう思うっていう話なので」膝に手を置いて小さくなるソラさん。
「鉄さんはそれで結構ですよ。『そう思う』に踏み込むんで考えるのは僕らの分野です。ジアさんも、分かりました?」
流山教授に釘を刺された格好のジアさん、肩をすくめました。それから、あちこちに話を飛ばしながら四人のお話は続き、最終的にアリンさんが3限で離席する頃には、アリンさんがイザベルさんと連絡を取り、放課後ジアさんも交えてカフェテラスで会う事になりました。
「あの、サークルの時と違ってびっくりしなかった?」
講義に向かうアリンさんと、資料室へ行くというソラさん。研究室のある廊下から、階段へ向かいます。
「いえ、他の学部の方と、こんなにお互いのジャンルで話したことがなかったし、楽しかったです。勉強になります」
「引いてない?」
アリンさんが冗談めかして尋ねます。
「いいえ。ベルも割と、研究の事になるとああなので。普段ああですけど」
何か思い出すようにソラさんは笑います。
「私、勉強しに来てるので、魯さんとか……グッドホープさんもですけど……そういう人と会えてるの、良かったなって思います」
「……」
アリンさんの足が止まりました。
「あの?」
アリンさんを振り返るソラさん。
「ううん。良い子だなあ……って思って」
階段の丸い採光窓が、午後の光を二人に注いでいます。
「あの」
アリンさん、大きく息を吸い込みます。
「今度さ、ふたりでご飯行かない?」
【スタッフ】ナレーション リエフ/音声技術 琴錫香/映像技術 リエフ・ユージナ/編集 山中カシオ/音楽 14楽団/テーマソング 「cockcrowing」14楽団/広報 ドロシー/協力 オズの皆様/プロデューサー 友安ジロー/企画・制作 studioランバージャック
P-PingOZ「巻貝の中で」終わり